たぶん、きっと
ここ数日、ブログが書けなかった。
自分の中で色々決めて、意を決して始めたこのブログだけど、たった10記事しかアウトできてない。
結局そんなもんだったのかと少し悲観したり、いや待て、インプットが足りないだけなのかと、より本を読んだり、人と話したりしていたけど、一向に書けなかった。
書きたい素材は、色々浮かんではいるのだけど、なんか”繋がらない”。
そんな感じで記事としてなかなかまとまらなかった。
悶々と日々を過ごしていたが、季節の変化による気圧も安定してきたある日。
突然なんか”抜けた”感覚があった。
そんな感覚を経て、16日振りの更新。
たぶん、きっと、
第一章の終了だったんだと思う。
今までの記事を振り返ってみると、同じことを違う切り口で書いていることに気がついた。
(全ての記事がではない)
潜在的に思っていること、言いたいことをいくつかの記事を通して形にできたことで、自分の中で何かが確立し、自分自身に気付けたのだと思う。
それで何か一段落ついたのだ。
何かが自分の中から"抜け"、そしてまた書き始めた。
「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ。」
これは美を極めた彫刻家であり、画家であり、そして建築家でもある偉大な先人の言葉。
表現したいことはもうそこにあって、それに向かって人に伝わる形に落とし込む。
そんな自分感覚とミケランジェロの哲学がリンクした、抽象的感覚水曜日。
定期的にアウトし続けるためにインプットしまくって、”潜在的何か”を蓄積し続けることが大事。
しかし、闇雲にインプットしていては自分が興味あることだけに耳を傾けがちで、蓄積される場所が偏り、すぐ燃え尽き症候群に陥ってしまうので、多方面、多ジャンルからの収集を意識する必要あり。
改めての気付きと実感自分メモ。