たとえばなし
僕が納得できずに口をへの字に宙を見上げていると、尊敬する僕の上司はよく例え話を出してくれる。
料理や買い物など、身近な出来事と置き換えて、説明をしてくれる。
その例え話がパッと出てくるからまたすごい。
その例え話を通して、合点がいったときは”納得”というよりかは「なるほど!」という”気付き”に近い。
その気付きを持って、議論が次のフェーズに向かう。
わからないこと、理解ができないことに対し、”説得”をされていたら、それ以上の議論の昇華はないだろう。
気付きが思考に働き、更なる意見を生む。
そう考えると、例え話は更に”話を聴く”ための業なんだなぁと思う。
言ってるけど、聴く。
ひとえに”聴く”でも、耳を傾けるだけではないんですね。
要は、なんの目的があって、”聴く”という行為をするのか。
その目的を果たせるなら、行為は”聴く”に限らなくていいのだ。
大阪に行く目的があれば、新幹線でも飛行機でも、ヒッチハイクでも歩きでも良い。
上手い例えで締めれないもどかしさに、頭悩ます金曜日。
まぁ、こんなもの。
そんな自分を受け入れ、日々精進。