思考鍛刀場

自分の思考を可視化し、公開の場で綴られた自分の言葉を客観視することで何を感じるか。 2016年3月4日から始めた3ヶ月間限定ブログ。 開始当初は毎週金曜日更新とルールづけていたが、更新日目指して作り込んでしまい、本来の意図が損なわれてしまったので、思い立ったが吉日更新に変更。

たとえばなし

僕が納得できずに口をへの字に宙を見上げていると、尊敬する僕の上司はよく例え話を出してくれる。

 
料理や買い物など、身近な出来事と置き換えて、説明をしてくれる。
 
 
その例え話がパッと出てくるからまたすごい。
 
 
 
その例え話を通して、合点がいったときは”納得”というよりかは「なるほど!」という”気付き”に近い。
 
その気付きを持って、議論が次のフェーズに向かう。
 
 
 
わからないこと、理解ができないことに対し、”説得”をされていたら、それ以上の議論の昇華はないだろう。
 
 
 
気付きが思考に働き、更なる意見を生む。
 
 
そう考えると、例え話は更に”話を聴く”ための業なんだなぁと思う。
 
 
 
 
言ってるけど、聴く。
ひとえに”聴く”でも、耳を傾けるだけではないんですね。
 
 

要は、なんの目的があって、”聴く”という行為をするのか。

その目的を果たせるなら、行為は”聴く”に限らなくていいのだ。

 

 

大阪に行く目的があれば、新幹線でも飛行機でも、ヒッチハイクでも歩きでも良い。

 

上手い例えで締めれないもどかしさに、頭悩ます金曜日。

 

 

まぁ、こんなもの。

そんな自分を受け入れ、日々精進。