思考鍛刀場

自分の思考を可視化し、公開の場で綴られた自分の言葉を客観視することで何を感じるか。 2016年3月4日から始めた3ヶ月間限定ブログ。 開始当初は毎週金曜日更新とルールづけていたが、更新日目指して作り込んでしまい、本来の意図が損なわれてしまったので、思い立ったが吉日更新に変更。

兆し

前回の記事で「なんかパッとしない毎日だ」と書いた。

それもそのはずで、ここ最近を振り返って見ると思い当たることしかない。

 

 

状況を例えるとこうだ。

 

映画「タイタニック」の後半。

氷山に衝突し、海水がタイタニック号を浸水していく中、ヒロインのフィアンセの怒りを買ってしまったディカプリオ演ずるジャック・ドーソンが船室の一角で手錠を掛けられ、閉じ込められるシーンがある。

 

 

危機が目の前に刻一刻と迫っているのに、どうしてもそこから抜け出すことができない。

 

 

もがいても、もがいても金属音が高く鳴り響くだけで、自分の身体は船室のパイプと一体と化している。

 

 

力ではどうすることもできず、何か方法はないものかと考えているうちに、

 

疲弊しきっていたのかもしれない。

 


今までの人生、直感に従い、どちらかというと力尽くで歩んできた。


そして、それでうまくいっていた。

 

 

が、しかし、


今、そのやり方が通用しない。

 

 


方法を替えなくてはならない。

 

 


冷静になって見渡してみれば、足下に針金が落ちている。

 

手錠の鍵の形状を明確にイメージし、その針金で開けるのだ。

 

 
明確なゴールを見据えることが、この状況を脱するための“兆し“。

まずは何にせよ

ここ最近、なんだか抜け殻な毎日。
 
少しそれが「そんな毎日でした」と言えるような兆しが、目を凝らした先に見えてきた、そんな気がします。
 
そこへ徒歩で向かえるか新幹線か飛行機か。
それとも瞬間移動してしまうか。
 
その辺はまだわからないけども。
 
 
 
ただ”兆し”が見えたことだけは言える。
 
 
 
 
その理由は、
 
「なんでパッとしないからがわかった」
 
からだ。
 
 
 
 
あとは行動に移せばいいだけ。
 
 
 
 
けど、自転車など様々な乗り物と同じように、動き出すときが一番エネルギーを使う。
 
おまけにチェーンも少し錆び付き気味で、タイヤの空気も万全でない。
 
 
 
てな具合で、停滞していると余計なことばっかり考えてしまう。
 
 
 
 
まずは何にせよ、ペダルに足を掛けよう。

八百屋のおっちゃんとの論争と今できること

家の近所の八百屋で売っているリンゴ。
 
「買いたい」
 
と、その意を伝えても一向に売ってくれない。
 
 
 
この論争は長く続いていて、初めて意思を伝えたのは半年前に遡る。
 
 
 
 
当時は、
 
「お前がこのリンゴを買う理由がわからない」
 
という理由に加え、
 
「こっちのメロンの方が必要だろう?少し高いけど」
 
と、おっちゃんの都合まで押し付けられた。
 
提示されたメロンは最高級で、僕にはそれを買えるだけの金はなかった。
そして当然買う気もなかった。
 
 
 
 
が、リンゴがどうしても欲しかった僕は、
 
「2年間、金を貯めてそのメロンを買うから、そのときついでにリンゴも付けてくれ」
 
と、金を貯めるプロセスと併せて自分の要求を提示した。
 
 
 
「その時期だと流通会社の都合が…」
 
「天候によってはいいものができないかも…」
 
などなど、ズレた理由ばかりを並べ、一向に話が進展しない。
 
 
 
 
時間が食われるばかりで募る苛立ち。
 
 
 
 
とりあえず金を貯めるべく、日々せっせと働いた。
 
 
 
 
半年後。
 
歪んだ動機から流れる汗を飲んで”あること”に気が付いた。
 
 
再び八百屋のおっちゃんにリンゴが欲しい意向を伝え、その首は縦に振られた。
 
 
 
 
 
 
 
リンゴが欲しい理由を問われたのに対し、僕はリンゴを得るための方法を提示してしまっていたのだ。
 
なので、どれだけそのリンゴが欲しいのかをおっちゃんに力説をした。
 
 
 
 
 
 
しかし、
 
 
 
それで”めでたし”とならないのが、世の無情さ。
 
 
 
 
 
 
原産地が今世紀最大の嵐により、リンゴが壊滅してしまったのだという。
 
 
 
 
結局まだ手に入らず終いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
めちゃくちゃ悔しい話だね。
 
 
 
 
けど、嘆いても仕方ない。
 
 
 
 
とりあえず、この気持ちを消化して、今できることを精一杯やるモードな火曜日。
 
 
Take it easy.

世の中で一番損な買い物

「クソだな」と思ってしまう出来事に日々遭遇している。
 
それって価値観の相違であり、それをお互いに受け入れられないから心が反発する。
 
 
 
オトナ的に解釈をすれば、そういうことだけども、まぁ「クソ」は「クソ」である。
 
 
 
しかし、「クソ」まみれな人には近づきたくないし、手なんか繋がれたときは、想像しただけでも虫唾が走る。
 
 
わかっちゃいるけど、”怒り”という感情がまた厄介で。
”怒り”という激流に流された先に待っているのは「クソ」人間と化した自分である。
 
 
 
世というのはなかなか非情なもので、ちょいちょいケンカという商品を売ってくる。
 
大金を積まれたとしても買ってはいけない
 
 
 
 
 
 
”許す”という行為が簡単なことであったら、誰も向上は目指さない。
 
ゲームで難しいステージをクリアできた快感から気付くこともある水曜日。
 
 
 
難しいことだからこそ、そこに成長があるものだ。

たとえばなし

僕が納得できずに口をへの字に宙を見上げていると、尊敬する僕の上司はよく例え話を出してくれる。

 
料理や買い物など、身近な出来事と置き換えて、説明をしてくれる。
 
 
その例え話がパッと出てくるからまたすごい。
 
 
 
その例え話を通して、合点がいったときは”納得”というよりかは「なるほど!」という”気付き”に近い。
 
その気付きを持って、議論が次のフェーズに向かう。
 
 
 
わからないこと、理解ができないことに対し、”説得”をされていたら、それ以上の議論の昇華はないだろう。
 
 
 
気付きが思考に働き、更なる意見を生む。
 
 
そう考えると、例え話は更に”話を聴く”ための業なんだなぁと思う。
 
 
 
 
言ってるけど、聴く。
ひとえに”聴く”でも、耳を傾けるだけではないんですね。
 
 

要は、なんの目的があって、”聴く”という行為をするのか。

その目的を果たせるなら、行為は”聴く”に限らなくていいのだ。

 

 

大阪に行く目的があれば、新幹線でも飛行機でも、ヒッチハイクでも歩きでも良い。

 

上手い例えで締めれないもどかしさに、頭悩ます金曜日。

 

 

まぁ、こんなもの。

そんな自分を受け入れ、日々精進。

自分で舵を切る力を

薄型テレビに執着しすぎたがあまり、新規事業を見出すことを怠ってしまったが故に台湾のホンハイに買収される始末となってしまったシャープ。
 
不正会計発覚後、信用がた落ちの東芝に、さらに次ぐ三菱の不正隠し。
 
スマホ業界では各安スマホを武器に生産、シェアの伸ばす中国。
スマホ2強のAppleサムスンは頭打ちとなり初の出荷減になることを受け、日本はシェアの伸ばす中国へ電子部品の営業強化するとのこと。
 
 
戦後、敗戦から死に物狂いで復興し、世界第二位まで国内の生産率を引き上げた歴史のある日本。
奇しくも東京オリンピックが行われたのが、ちょうどその頃で、50年余りで日本の世界に対する構図が逆転してしまいそうにある。
 
世界のグローバル化に反し、情報統制が進む情勢はどうかとは思うけど、中国始め、凄い勢いで近隣のアジア諸国が伸びてきているのは確かな事実。
 
 
 
組織のお偉いさんに頭を下げておけば、安泰の時代ではない。
むしろ、権力という名の舵にすがる船員の船に同乗していては、先に待つの嵐から逃れる術がない。

たぶん、きっと

ここ数日、ブログが書けなかった。
 
 
 
 
自分の中で色々決めて、意を決して始めたこのブログだけど、たった10記事しかアウトできてない。
 
 
 
結局そんなもんだったのかと少し悲観したり、いや待て、インプットが足りないだけなのかと、より本を読んだり、人と話したりしていたけど、一向に書けなかった。
 
 
 
 
書きたい素材は、色々浮かんではいるのだけど、なんか”繋がらない”。
 
そんな感じで記事としてなかなかまとまらなかった。
 
 
 
 
 
 
悶々と日々を過ごしていたが、季節の変化による気圧も安定してきたある日。
 
突然なんか”抜けた”感覚があった。
 
 
 
 
 
 
そんな感覚を経て、16日振りの更新。
 
 
 
 
 
 
 
たぶん、きっと、
 
第一章の終了だったんだと思う。
 
 
 
今までの記事を振り返ってみると、同じことを違う切り口で書いていることに気がついた。
(全ての記事がではない)
 
 
 
 
潜在的に思っていること、言いたいことをいくつかの記事を通して形にできたことで、自分の中で何かが確立し、自分自身に気付けたのだと思う。
 
 
 
それで何か一段落ついたのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
何かが自分の中から"抜け"、そしてまた書き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ。」
 
これは美を極めた彫刻家であり、画家であり、そして建築家でもある偉大な先人の言葉。
 
 
 
 
 
表現したいことはもうそこにあって、それに向かって人に伝わる形に落とし込む。
 
そんな自分感覚とミケランジェロの哲学がリンクした、抽象的感覚水曜日。
 
 
 
 
定期的にアウトし続けるためにインプットしまくって、”潜在的何か”を蓄積し続けることが大事。
 
しかし、闇雲にインプットしていては自分が興味あることだけに耳を傾けがちで、蓄積される場所が偏り、すぐ燃え尽き症候群に陥ってしまうので、多方面、多ジャンルからの収集を意識する必要あり。
 
改めての気付きと実感自分メモ。